みなさんこんにちは、地下アイドル兼ライターのみほたんです。
いよいよ5月29日(水)のオタフクガールズ東京初ワンマンまで2週間を切りました。
先日、歌の先生であり新曲の作曲者であり友人のずーみー先生と話していて「わしも毎日ブログ書く!ワンマンまで毎日オタフクガールズのことを書く!」と宣言して1週間。まずはオタフクガールズの結成の話からだな……! と思っていたのですが、過去のブログを見返していたら丁度良い記事があったので修正して再掲します。
(ちなみに、今書いてるインタビュー記事も理由のひとつです)
少々テンションが暗いかもしれませんが、あまり気にしないでください! もともとは丁度2年前、オタフクガールズ再結成して動き出す前に、ミスiDというオーディションに応募した時に参加表明的に書いたものです。
「みほたん」と名乗りだしたフリーペーパー時代
まずは大学生の時、漠然と「雑誌を作る仕事とかしたいなぁ」と京都にあるフリーペーパーを作る会社のお手伝いを始め、記事書いたり誌面に出たりブログを書いたりしました。その会社が色々イベントもやるところだったので、司会をやったり、ネット配信をやったり、社長がミュージシャンだったので一緒に音楽ユニットをやったり、文化祭のような毎日を過ごしました。
その会社というのが、いまやリアル脱出ゲームで大人気の株式会社SCRAPでございます。
この時に「みほたん」と名乗りだしました。
というのも、「コスプレして司会やって」とか「恋愛相談ブログ書こうか」という話になった時に、それまで親にブスブス言われて育ち、学生時代もチヤホヤされることがなかったので「本当に私がやっていいんですか?」という気持ちがぬぐい切れなかったんですよね。んで、ここで初めて呼ばれだしたニックネームを全面に出して、喋る時も書く時も最初に「みほたんです!」って名乗ることで自分を奮い立たせていました。
いや、まぁ 奮い立たせるとか言いつつ、やりたいやりたい!って言ってたんですけどね。

お笑いの養成所で勝手にアイドルユニット結成
学生生活が終わり、ずっとこういうことを続けていきたい!と思った時に、タレント?アイドル?いやいや年が行き過ぎているでしょ…と判断しました。
だって当時、某アイドルグループの一期生の募集があったんだけど、その年齢制限が22歳までだったんだよ! くそ!こりゃお笑いだな! と養成所に入学して、そこから全部で約4年間、漫才やりました。

養成所を卒業して1年くらいした頃に、限られた舞台しかないことや、女子っぽいことをしたらバカにされる気がする、なんて窮屈さから、同期の女の子たちとアイドルユニットを勝手に組んで、勝手に活動しました。
それが今のユニットの元になったOTAFUKUガールズです。

フリーペーパー時代はやりたいことは手を挙げればやらせてもらえた環境だったし、正直色々褒めてもらえていましたが、そこから実力社会に一変。土に埋められたような気持ちでお笑いをやっていましたが、アイドルを名乗ることで、また「やりたい!って声を出せば何か変わるんだなぁ」と思えました。
ちなみに「なんでお笑いやってたの」とよく聞かれるけど、結局は好きだからです……。思い通りにいかないことがほとんどだったけど、好きだったし楽しかったです。
上京失敗、「ライター」という肩書きを得る
お笑いを始めて3年目に上京しましたが、半年ほどで相方が辞めることを決め、解散。あんなにショックを受けたことはありません。何てったってネタは全部相方が考えていたんですから、私はあっという間に丸腰、何もできない人になってしまいました。
何もできない、このまま普通に生活して死ぬの?いやいや無理無理、それだけは無理。でも何をしたらいいんだろう…とぐるぐる考えてどうしたらいいのかわからなくて、とりあえずめちゃくちゃに遊びました。
そんな時にフリーペーパーを一緒に作っていた仲間から声がかかり、ネットでコラムを連載することになりました。さらにその半年後には同じようなご縁でもうひとつ連載が始まりました。このタイミングで、一周回って学生の時に憧れた「文章書いてお金もらう」ことが叶ったのです。
東京で何者でもなかった私が「ライター」と名乗れるようになりました。
この頃はOTAFUKUガールズは実質活動休止中でした。
なりたかった職業にはなれたけど、その先は?
とまぁ、目立つことが好きだった学生が芸人になってアイドルを名乗って、ライターになる……そういう経歴になるわけです。
私は連載のため、毎週せっせと記事を書いていました。
アイドルをやっている友達がいよいよ全国的な知名度になりました。
音楽をやっている友達がアーティストとして海外でも活躍するようになりました。
同期を毎日テレビで見るようになりました。
一緒にユニットをやっていたまおちゃんがお芝居で主役に選ばれて、毎日仲間に囲まれて稽古をやっています。
ミッチャンがネット配信のイベントで上位に入り、ファンの方から沢山星を投げられています。
私は毎週記事を書いていました。
好きなことでお金がもらえている、世の中に発信している、そう反芻しながら、有名になった友達が自分のツイッターのフォローを外していないかチェックして、最近頑張っている友達のフォロワー数が自分を越えていないかパトロールしてまわりました。
この頃は、とにもかくにも暗い時期です。
朝、部屋の鍵を閉めるときに「しにたい」、帰路につくときに「しぬしか」とつぶやいていました。いや、でもこれは決して自殺願望ではないんです。本当に死んでしまいたいわけでも、辛いわけでもないんです。あれ?もうこれ、どうにもならなくない?詰んでない?消えるしかなくない?って感じです。
辞めたら負けとかそういうわけじゃなく、やりたいことをやるしかない。
そんなズブズブに暗い時に、まおちゃんとミッチャンの2人に会って、こんな話したらあかんよなーと思っていると、まおちゃんの口から「毎日しにたいって思ってるよ!」と飛び出しました。まったく同じような心境でした。今はどう思ってるかわからないけど。言っていいんだ!普通だ!と安心しました。
オタフクガールズ再始動
暗黒期を経て、色んな要因があって私は関西に戻ることにしたわけですが、この時期は色んな人に会いました。
子どもの頃から知っている友達と集まった時に、一人の女の子が「みほりん売れるよ!」と言いました。いや、もう何をしてる人かもわけわからんくなってるのに、何で売れるんだよ!とへらへら笑っていると、また別の子が「定期的に福森さんどうしようって話にはなるよね」と続けました。
数年ぶりに会う大学の先輩に「みほちゃん何かのタイミングで有名になってほしいなぁ、なりそうやけどなぁ」と言われました。
もうとっくにみんな、私のことなんて諦めているとどこかで思っていて、何をやっても「まだやってんの?」という目で見ていると、勝手に思っていました。いや、もちろん思ってる人もいると思うけど。それでも、仲の良い優しい人たちは、こんな中途半端にずるずるやっている私にまだ希望をもってくれてるんだと。
それなのに私は与えられた仕事をやって、何かやってる気になって、自分はまだ大丈夫だと言い聞かせているだけで、何も前に進んでいない。このままではダメだ、いや、何度も思ってきたけど、いよいよ本当にまずいぞ。
……はい、ここまでが2017年の春に書いた文章です。
えっ!くらっ!!
ここから、前述の通りオーディションに応募して、オタフクガールズも再結成するわけですが……
本当にめちゃくちゃ暗かったね、私。新宿駅で泣いてたもんな。やっててよかった、オタフクガールズ!救いですね。
というわけで、まとまりきってませんが、東京ワンマンよろしくお願いします。

オタフクガールズ東京初ワンマン「令和のオタフクガールズどうしていく?」
2019年5月29日(水)
OPEN 18:30 / START 19:30
場所 阿佐ヶ谷ロフトA
前売り 2000円 / 当日2500円(共に飲食代別・1オーダー500円以上)
※詳細やご予約はオタフクガールズの公式サイトからどうぞ
https://www.otafukugirls.com/
イープラス
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